GEN INC.
創業者 山本栄松
自分の可能性は自分には分らない。
仕事の結果はあとから付いてくる
カメラを担いで飛び回り、原稿用紙に向かってものを書き、グラフィックデザインを駆使してバイクやボート、ヨットの世界を表現する。そんな仕事を通してメーカーとユーザーの橋渡しができればさぞ愉しかろう。そんな思いを抱いた3人が、東京・赤坂のマンションに集まりました。
1964年春。玄株式会社=GENの萌芽です。
以来、半世紀にわたって、私たちはモノ作りに携わる技術者や研究者、販売者、それらのモノを使うアスリートやユーザーなど、モーターサイクルやマリンレジャー、漁業の世界に関わる多くの人々と出逢い、話を聞く機会に恵まれ、そんな体験を何よりの資産として企業の広報・宣伝媒体、映像媒体やWebサイトの制作に携わってきました。
街へ、サーキットや工場へ、荒野から山岳地帯、大海原、あるときは雪原へ。気づけば、私たちは日本の隅から隅まで、さらには世界の四大陸、三大洋とその島々を駆け巡っています。そんな体験は心躍ることばかりですが、不安になることもしばしばです。果たしてこのことが、社会、企業にどれほど役に立っているのだろうかと。そしてそんなとき、創業者が残したひとつ言葉に思い至るのです。「自分の可能性は自分には分らない。仕事の結果はあとから付いてくる」。
今ではすっかり「仕事人」の顔になっているあいつも、こいつも、思えば、不安を振り払うように無駄に高い筆圧で原稿用紙に書き続け、現場で汗をかいてきた者たちです。
体験を価値あるものに変えてきた——、それがGENです。
会社概要
- 商 号
- 玄株式会社
- 住 所
- 本社:〒438-0026 静岡県磐田市西貝塚3335-9
TEL:0538-24-7671/FAX:0538-24-7672
蒲田サテライト:〒144-0052 東京都大田区蒲田5-32-8 202号室
- 代 表
- 石井 周一
- 資本金
- 10,000,000円
- 設 立
- 1964年(昭和39年)7月20日
- 社員数
- 5名
- 取引銀行
- みずほ銀行 六本木支店/城南信用金庫 青山支店
- 主要取引先
- ヤマハ発動機株式会社/ヤマハ発動機販売株式会社/株式会社ワイズギア/株式会社電通/株式会社電通東日本/公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団、他
- 取引印刷所
- アート印刷株式会社/笹徳印刷株式会社/株式会社エイチケイグラフィックス/日興美術株式会社、他
事業内容
- プランニング
- コーポレートコミュニケーション戦略の立案/宣伝戦略、広報戦略、SP戦略の立案/クロスメディア戦略の立案
- 編集・制作
- PR誌、社内報、会社案内、マニュアル等の編集制作/雑誌広告、新聞広告等の制作/各種映像の編集制作/WEBサイト等デジタルコンテンツの制作/ニュースリリース等広報ツールの制作/SPツールの制作
- デザイン・撮影
- グラフィックデザイン/WEBデザイン/ロゴデザイン/広告、製品、報道等、スチールと映像の撮影全般/イラストレーションの制作
- 翻 訳
- 書籍、論文、契約書等の翻訳(日本語、英語、中国語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、インドネシア語等)
沿 革
- 1964年
- 東京都港区に玄株式会社を設立。山本栄松が代表取締役に就任
日本モーターサイクル協会(現・日本モーターサイクルスポーツ協会)発行「ライディング」を編集制作
- 1965年
- ヤマハ発動機発行の二輪車販売店向け情報誌「ヤマハニュース」を編集制作。以降同社の事業拡大に合わせ「ヤマハボートニュース」等、販路向け/顧客向け情報誌を編集制作
- 1968年
- ヤマハトレール「DT-1」プロモーション映像を制作
「Yamaha News」、「Chantey」等、海外向けPRツールを編集制作
国際漁業振興紙「Fishery Journal」を編集制作
- 1972年
- 漁船・漁業情報紙「大漁ニュース」を編集制作
- 1974年
- マリン情報誌「SEA ROMAN」を編集制作
- 1975年
- モータースポーツ施設「スポーツランドSUGO」の設立企画に参画
- 1977年
- ソフトバイク「パッソル」商品企画・開発に参画。商品導入に伴う需要創造プロモーション企画に参画
セーリング情報誌「Blue Wing」、「マリンストアニュース」(現・ヤマハマリンニュース)を編集制作
- 1980年
- ヤマハレーシングカレンダー「Racing the Yamaha Sprit」を制作
- 1983年
- 杉山猪三郎が代表取締役に就任
- 1984年
- マリンライフ情報誌「キャプテンズワールド」を編集制作
- 1985年
- ヤマハ発動機の二輪車ユーザークラブ「Y.E.S.S.」の設立企画に参画
- 1986年
- 港区西麻布2丁目から西麻布1丁目に移転
- 1990年
- 水上オートバイの業界団体「PW安全協会」の設立に参画
- 1992年
- 文部省管轄の財団法人「日本マリンスポーツ普及教育振興財団」の設立に参画
- 1993年
- 中川常久が代表取締役に就任
電動アシスト自転車「PAS」の商品企画に参画
ホイットブレッド世界一周ヨットレース1993 - 94初参戦・優勝の「YAMAHA号」の広報を受託
- 1997年
- 「マリンジャーナリスト会議」発足に協力し事務局業務を受託
ヤマハ発動機ウェブGの前身、デジタルコミュニケーション推進Gの設置に協力
- 1998年
- 横浜ベイサイドマリーナの開発から開設までの記録ビデオの企画制作
- 1999年
- 北沢産業(株)の店舗向け情報誌を制作
- 2000年
- ヤマハ発動機「環境活動報告書」を制作
Webサイト「Yamaha21.com」の開設・運営に参画
- 2001年
- ヤマハマリンカレンダー「Seascape」を制作
- 2003年
- 日本舟艇工業会(現・日本マリン事業協会)のPRツールを制作
マリン情報メールマガジン「ソルティライフ」を編集制作
- 2004年
- 岡本達思が代表取締役に就任
- 2005年
- ヤマハ発動機創立50周年プロジェクトに参画
ヤマハ発動機社史編纂プロジェクトに参画
「ヤマハ発動機スポーツ振興財団」の設立企画に参画
- 2006年
- ヤマハ発動機会社案内「INVITATION TO YAMAHA」を制作
- 2007年
- 日本舟艇工業会(現・日本マリン事業協会)主催「ジャパンインターナショナルボートショー」の企画・広報を受託
- 2009年
- 山本聖司が代表取締役社長に就任
- 2013年
- 水上オートバイでの地域貢献を目指す「シーバードプロジェクト」の企画広報をPW安全協会より受託
- 2015年
- ヤマハレース活動60年誌「Sprit of Challenge」を制作
- 2016年
- ヤマハデザイン60年誌「Yamaha Motor Design 1955 - 2016」を制作
ヤマハ発動機スポーツ振興財団10周年記念誌「Challenge for Next 10」を制作
ヤマハ470級セーリングチーム「Revs」の広報記録を受託
- 2020年
- 石井周一が代表取締役社長に就任
東京都港区から静岡県磐田市に移転
東京都大田区にサテライトオフィス開設
